若鶴のあゆみ

艱難期 – 昭和初期から第二次世界大戦

昭和初期

昭和初期

昭和2年に起った金融大恐慌によって、若鶴酒造は創業以来最大の苦難に遭遇しました。苦境を脱出するため、巨費を投じて清冽な地下伏流水の汲上装置を完備して品質改良に努め、また、新しい販路の開拓を行いました。従来の東京、東海地方のほか、新たに樺太方面にまで市場を拡大した結果、売上高はうなぎ登りに伸長していきました。

戦時統制

しかし、昭和12年に勃発した日華事変によって、日本の経済は完全に戦時体制に組み入れられるに至りました。戦争による人と物の大量消耗、特に米作の減収は酒造業者に深刻な打撃を与えたのです。

昭和14年には第二次世界大戦が開戦しました。国内は人的資源も主要原料も極度に枯渇し、若鶴酒造も多年苦心して培った販売ルート(特約店)は消滅し、配給と統制組合卸し一本となり、商標もまた無用の長物となりました。

大戦以後

第二次世界大戦の終結後、行きづまった局面を打開すべく、清酒に加えて、蒸留酒、合成酒、ぶどう酒ウイスキーの製造にも進出し、売上を拡大させていきました。

その最中、昭和28年5月11日夜半に当社アルコール工場より火を発し、施設の大半を消失するという災厄に遭遇しました。しかし、社長以下全従業員の努力により、短日月に再起操業を果たすことができたのです。

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